『現実感を感じるために…』

【No 0013】 [2004年07月23日(金) 00時17分29秒]

今回、何を書けばいいのか悩みました。
それで西山さんに「和歌山のBBSのテーマって何?」とお訪ねしたところ、県・市・高野山、それぞれの
活動カラーを教えて頂きました。
よし今回はこのお題で!…と思っていたのですが、急に他のことが書きたくなりました。
その理由は今日のニュースで取り扱っていたからで、いま目の前にあることを一度皆さんで
考えてみたくなったからです。
お読みになった方は、是非掲示板の方へ自分の考えを書き込んで下さいますようお願い致します。

さて、その急に書きたくなった事と言うのは「命」の事です。
テレビニュースで取り上げていたのですが、とあるゲームセンターのいわゆる「UFOキャッチャー」の景品に
「ハムスター」が入っているのだそうです。
「ええっ〜!!」と思いましたが、実際遊具の中にはブラスチックの虫かごに入った
ハムスターが置かれていました。
以前、同じような遊具で「伊勢エビキャッチャー」と言うのがあり、それについて私の仲間内でそれぞれの思いが
語られたことがありました。
あのときもいろいろあったけど、ああいう物を作るのも、使うのも、また嫌悪感を持つのも全て人間なのです。
いろんな角度から、立場から、考えてみたけれど、要するに「食い物を粗末にするな」という事で
怒りを収めることにしたのです。
生き物の命を奪う事って、最終最後に「食う」という結末があるからこそ殺生という業を背負っても
生きていけるのだと思います。
食わなければ生きていけない、食うために殺す、他を殺して私を生かしてもらうのです。
だから、その命の分も生きる覚悟がないと食べちゃいけないんです。
殺生いう言葉、殺と生の二つの文字で表現されるのはそういうことなのでは?とかってに解釈しています。
…で、話を元に戻して今回の遊具はどうかと言うと「ん?ハムスター?食えないじゃん!!」
またしても怒り心頭です!!
そういえばミドリガメすくいの機械もあると聞いたことがあります。
殺す目的ではないにしても、空調は無い機械音がうるさい狭い所に閉じこめられている生き物の方は必死のはず。
金魚すくいだって一緒じゃない?と思われる方も多いと思いますが、あれにはそこそこ相手も生き物だという
実感が伴っているはずです。
手で命にふれる感触、嫌がって暴れる振動が直接手に伝わります。
けれどゲーム機ではその感覚を「ボタン」が奪ってしまうのです。
相手は生きているのに、その現実感も感じられずお手軽にボタン一つで命のやりとりが出来る。
ある意味、指先一つで核兵器のボタンが押せるのもその感覚が発展したものかもしれません。
こういう遊具が残念ながら現実に我々の町の中にあります。
以前の私なら、それを作った人間のアホさ加減に怒りの矛先が向くだけでしたが、
最近そういう物があるということに深い罪悪感とともにため息をつくようになりました。
前回の講演で水谷先生が言っていました、
「悪い子供なんて一人も居ない。悪いのはみんな大人なんです」
その言葉がつくづく身にしみる今日この頃です。

命を奪って生きていること。
牛肉を食べても牛の命を感じない、野菜となると全く命を感じ無い。
命を奪わなければ生きられない生き物という事実。
「人間と動物」という感覚ではなく「人間という生き物と人間以外の他の生き物」という感覚。
そういう事実に無感覚な事が、今のいろいろな事件を生んでいるのだと思います。
皆さんはこんな遊具にどのような思いをもたれますか?
「感じているけど分かってない。思ってるけど表現できない」は、唯一子供と大人の違いで
未熟な部分だと思います。
だから思っても居ない方法で自分を伝えよう訴えようとするのです。
だから大人はそれがきちんと出来ていなければいけないですよね。
感じて、理解して、それを他者に伝えて下さい。
はい、と言うことで宿題です。
「ゲーセンのハムスター、あなたはどう思いますか?」
一行からアンフィニまで、掲示板のカキコお待ちしております。


さて、今回はいつもと少し違う感じにしてみました。
私だって書くだけじゃなく、本当は皆さんとお話がしたいのです。
なので宿題をして頂ければとても嬉しいので、楽しみに待っています。