「見えないものを見る努力」

【No 0003】 [2003年10月10日(金) 17時57分02秒]

『大切なことは目に見えない』って星の王子が言ってたけど、
貴方にとって大切な事ってなんですか?貴方の大切にしたいものは何ですか?
今回は普段はあまり見えていないもののお話です。
いろいろあると思うけど、二通りに分けてみました。
「気づかないもの」と「知らなかったもの」。
気づかない物は、「気づくこと」もしくは「感じること」が出来て、
知らないものは「知る」事ができるものです。
でも、「トリビアの泉」のように全く自分に関係のないものではなく、必ず自分が関係していることです。
いつものことですが私が書く文章に答はどこにもありません。・・・念のため。

当たり前のことですが、人が生きて行くには、必ず他の生き物を殺さなければなりません。
いくら焼き肉大好き!と言っても、「少量のパック入り肉」と、
「生きた牛1頭と包丁」のどちらかを選べと言われた場合、後者を選択出来る方は希でしょう。
殺す、命を奪う、という行為が忌むべきものなのか、それとも面倒なのか。
とにかく我々は生命を維持するという実に生き物として根本的な行為を、
第三者に代わってしてもらっている生き物です。

養殖。
それを人の口に入るようにするまでにはすごい時間と労力を必要とします。
100人がお腹を満たせる養殖ハマチを育てるのに、その数倍の人間がお腹を満たせる量の
イワシをハマチのエサにしています。
人は時間と労力とお金を使い、食べ物を減らしている不思議な生き物です。

15分の限界。
最近講演をする側の方々から、会場が騒がしいという嘆きをよく耳にします。
学校では、ADHD(注意欠陥・多動性障害)ではなくても、授業中騒がしい教室が多いのだそうです。
ボタンを押せば飲み物が出てきたり、リセットボタン一つでまた新しい物語を始められるからでしょうか?
暴力シーンや性描写でテレビ番組を批判する人はいても、
人の集中力が15分で中断するよう人に刷り込んだCMというシステムに疑問を持つ人は少ないようです。
画面に集中、15分でCM、集中が途切れる、その繰り返し。
知らず知らずのうちに15分で集中を切る特性が、貴方にも身についてしいるかもしれません。

現代は大変さが見えない時代。
以前、現代の家庭と「大草原の小さな家」の頃の家族とを比較していた方がいらっしゃいます。
大草原の小さな家では、お父さんが外に働きに出かけ恐ろしいオオカミに襲われ命からがら家にたどり着くと、
母と子供はお父さんに抱きついて無事で良かったと涙をながします。
今は、お父さんが会社に働きに出かけ、嫌な上司に胃に穴が開くようなことを言われ、
命からがら家にたどり着くと、母と子供は・・・・。
これ以上書かなくとも押してしかるべしかと思います。
今も昔も親達は必至で家庭を支え子供を育てているのに、その大変さが見えないために損をしているようです。
あの故・尾崎豊でさえ、「♪親の背中にひたむきさを感じて このごろふと涙こぼした・・・」と歌っているのが17歳。
非行の低年齢化ってそういうことなのかも・・・。
とにかく、気づくまでにはずいぶん時間がかかるようです。

さて、現実に身近にあるけど意外と目に見えない当たり前のことを、あらためて文字にしてみました。
受け手のアンテナが良いことを期待し、何かを感じ取って頂ければ幸いです。
大切なことは人に伝えることで見えてくるもの、私はちょっぴりそう思っています。

次回は、「好きと嫌い」です。・・・た、たぶん、今のところ。