心のテディベア



子供の頃、近所のお店屋さんにクマのぬいぐるみが売られていました。
(その頃はまだテディベアという名前も知りません)
お店のウインドウに居たそのクマは、茶色の毛に黒い瞳。
一目見た瞬間どうしても欲しくなりました。
家に帰り、さんざん親にねだり買いに戻った時、そのクマはすでに売れてしまっていました。
気持ちの中でもう自分のクマだったのに、抱きしめて満足げな自分の姿まで想像していたのに・・・。
私の手には母が「大切にするのよ」と言ってくれてたお金が残りました。
落胆していた私にお店のオバサンが「これも可愛いわよ、ほら♪」と、新しく並べられていたイヌのぬいぐるみを見せます。
私はすすめられるままそのぬいぐるみを買って帰りました。
「クマがいい、これは要らないの・・・」とは言えずに。
帰る道すがら、私は必死で「イヌでもいい」と自分に思いこませたのだと思います。
イヤ、と言えなかった自分がイヤだったから。
ぬいぐるみを買って帰るという目的だけを果たした私は、母にも「イヌにしたの♪」と、嬉しそうに振る舞って見せました。
ほんとうは凄く情けなくて悲しかったのにね。
子供ってほんと・・・・大人と一緒です。

それ以後もぬいぐるみは沢山買って貰いました。
どのぬいぐるみも沢山遊んで大事にして、みんな薄汚れていきます。
そんな中で、あのイヌのぬいぐるみだけは、何年たっても、いつまでたってもキレイなままでした。
その子を見るたび、弱い自分とあのときのやるせない気持ちを思い出してイヤだったのです。
他の子のように愛してあげられない、ぬいぐるみにはなんの罪もないのに。
母にもウソをついた・・・・。
そんな後ろめたさをずいぶん長い間引きずったものです。

時が流れ、大人になった私にその日は突然やってきました。
母が「このぬいぐるみ、あげてもいい?」と私に聞いてきたのです。
あのイヌのぬいぐるみでした。
確かに他のぬいぐるみは、誰かにあげようなどとけして言えないような有様ですが、この子はキレイなままでしたから・・・。
親戚の子供に請われていったぬいぐるみは、はじめて愛して貰える人の基に行ったのです。
思えば、愛されるために生まれてきたぬいぐるみなのに、この子にはずいぶんな仕打ちをしたものだと思います。
やっと誰かが愛してくれる。
そう思うと、忘れようと努力していた後ろめたさがスッ…と軽くなっていくような気がしました。
かたくなだった心がゆるむと、いろんな思いが一度に押し寄せます。
この子は他の慈しんだどのぬいぐるみよりも、沢山の事を私に教えてくれた。
ほんとうに、沢山の事を・・・。
愛される事とは無縁な時を過ごしたとばかり思っていたのに、そう思っていたのは私だけで、
この子はちゃんと私を愛してくれていたのだと気づかされました。
ありがとう、ありがとう・・・・・。
その夜、貰われていったぬいぐるみに心の中で何度もありがとうを言いました。

テディベアという命のないものに、心などあるわけがありません。
でも、命のないものにも、ある日こころが宿るのです。
テディベアは、「心の入れ物」だから。
ベアを抱きしめて、人は自分の心を抱きしめる。
人はなかなか自分を許せないけれど、ベアは無条件で受け入れてくれるから、何も求めず、何も考えず、
ただ愛しいという思いを抱きしめる。
この子達が与えてくれる心地よさを、ずっと忘れずにいたいと思います。

茶色の毛で瞳は黒。
細かいデティールは思い出せないけれど、それが私の心のテディベアです。
いまだに巡り会えてはいません。
どのテディを見ても可愛いとは思うのですが、それでもあの時のクマではありません。
そうです、時は戻せないのですから。
でも、そのクマを欲しがった私は、今でも私のまま。
あのとき手に入らなかったのは、きっと神様が「自分で作りなさい」と言ってくれたのだと(勝手に)思うことにしました。
おかげさまで母からはお裁縫を、仏師だった祖父からは彫刻を、美大で立体造形を学び、何かを作ると言うことが
大好きな人間に育ちましたし。(^_^;)
そして近年、素晴らしいテディベアアーティストの佐藤真也氏に師事し、本格的にテディベア作りをはじめました。
今は大阪にあるテディベアショップ『リッティベア』さんに私のベア達がお世話になっています。
あのときに感じた心の一匹の感動を、誰かにも感じて貰いたい。
そんな大胆な野望を持ち、心を込めてテディベアを作っています。

                                           ジュディー